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創業の心 Founder Osamu Shimada Interview たった1坪の店から大きな夢は始まった 株式会社九州屋 創業者相談役 島田 修

九州屋の創業の原点は、行商の心。

1981年頃 1981年頃 私がトラックで野菜の行商を始めたのは1974年。それまでサラリーマンだった私が、脱サラして八百屋を始めたきっかけは子どもの頃にありました。私の生家は宮崎県の農家で、当時小学生だった私は母と一緒に家の畑で穫れた野菜をリヤカーに乗せて、7~8キロ先の街まで行商に行っていました。行商というのは、ある意味マンツーマンの商売ですから、正直に一生懸命頑張れば必ずお得意さまができるんですよ。そうすると子ども心にも、待っててくれるお客さまがいるから届けなければという使命感とか、苦労して育てた野菜がおいしいと喜んでもらえる嬉しさとか、尚且つそれが商売になる面白さとかが芽生えたんですね。だから、サラリーマンじゃなくて、自分でいくらでも夢が描ける商売を始めたかった。そして商売をするなら、子どもの頃から慣れ親しんだ八百屋になろうと決心したのです。ですから、九州屋の創業の原点は「行商の心」なのです。


1坪の店で得た“買っていただける感動”。3000人以上の常連様の名前を覚えました。

トラックでの行商を始めた翌年の1975年には、八王子市めじろ台に、たった一坪の掘ったて小屋ながら念願の店を持ち、九州屋の第一歩が始まりました。当時25歳の私には、「日本一の八百屋になる、100億売れる八百屋になる」という大きな夢があり、まわりの人たちにも口癖のように言っていました。そんな私を夢中にさせたのは、お客様に買っていただける感動でした。なぜならば、私の店は脱サラした素人がやっている八百屋、それもちっぽけな1坪の八百屋です。周りには、立派な八百屋がいっぱいあるわけです。それなのに、私の店で買ってくださる、「島ちゃん、島ちゃん」と呼んで可愛がってくださる。当時は御用聞きと呼ばれた配達もしていたんですが、夕食を用意して待っていてくださるお客様もいました。それはもう感動の毎日で、私は商売のとりこになりました。

もちろん、そうした感動を得るためには、実にさまざまな工夫をしました。キュウリ1本からの配達、毎日2つの目玉商品を用意し、破格値のタイムサービスを実施する、3000人以上の常連様の名前を覚え、何が必要なのかお聞きする。そういう日々の中で私が強く感じたのは、商売は物を売るんじゃない、心を売るんだということです。お客様の心を動かし、喜んでいただける商いは自然と利益を生み、会社も人も育っていくのだと確信したのです。


商いは「お客様がすべて」。お客様に喜んでいただけることが私たちの喜びです。

九州屋にとってのターニングポイントは、1984年の聖蹟桜ヶ丘ザ・スクエアへの出店でした。九州屋の出店でショッピングセンター への来店者数が目に見えて増加し、地域の人の流れが変わったという高い評価をいただきました。それを機に、日本全国の百貨店やスーパーなどへの出店が相次ぎ、1995年には創業時の夢だった売上高100億円を達成しました。もちろん夢の達成は、経営者ひとりでは成し得ませんでした。従業員全員がお客様のために商売をしているという気持ちを持ち続け努力したことが、夢の達成へとつながったのだと思います。

以降、会社の規模が大きくなるに従い、事業への取り組み方も大きく変化しました。人材教育はもちろん、業態ごとの品揃えやディスプレイ、大幅な仕入れの改革、日本全国での産地開拓、輸入システムの構築、そして本格的な自社農場「明野九州屋ファーム」の稼働。企業は生き物といわれますが、九州屋も変化し続けながら今日の姿となっています。そして、お客様がいる限りこの変化の継続に終わりはありません。

変化し続ける一方、変わらず守るべきは「心を売る商売」という創業の心です。また、お店を選ぶ権利、買う権利を持つお客様の絶対的な存在に対する感謝の心です。商いは「お客様がすべて」なのです。お客様に喜んでいただけることが、私たちの喜びなのです。九州屋はこれからも、新鮮で美味しく、安全安心な青果物をお客様に提供させていただけることを喜びに、社員一同心をひとつにして日々邁進してまいります。